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善徳女王は実話?ピダムやミシルは実在した?善徳女王の情報を完全網羅




善徳女王って実話なの?ピダムとかミシルって実在したの?

歴史物のドラマに触れるとこのような疑問が湧いてきますよね?

そんなあなたの疑問にお答えしていきます。

 

もしまだ善徳女王を全部見ていない、もしくは最初からもう一度見たいという方は以下の記事をご覧になられて下さい。

 

善徳女王の撮影地やキャストのその後なども記載していきますのでよろしければご覧ください。

 

630年ごろの朝鮮半島を舞台にした壮大な歴史ドラマ

新羅という国に初めて女性の王が登場する史実に基づいた内容となっている本作

 

韓国で瞬間最高視聴率49、9%を記録した大ヒット作である本作は、

日本や台湾などでも放送されいまなお多くのファンに愛される作品となっています。

 

そんな善徳女王の情報を可能な限り集めました。




 

善徳女王は実在の人物に基づいたドラマ

善徳女王は完全フィクションの作品ではなく、

実在の人物を基にして作成されたドラマです。

 

どの程度実話に忠実かと言いますと、「1%」ぐらいです。

ですのでドラマの99%は創作だとお考え下さい。

 

それぞれの登場人物

実在したとされる登場人物についてまとめていきます。

 

善徳女王

新羅初の女王。

ドラマではかなり脚色がかかっているかもしれませんが、

筆者は本当の善徳女王の方が過酷な人生を歩んできたのではないかと考えています。

 

善徳女王の時代から1400年近く経過した現代でさえ男尊女卑の考えは悲しいことに残っています。

この時代であれば、男性が絶対優位であり女性は虐げられる対象だったということは容易に想像できます。

 

そんな中、女性初の王になるということは並大抵の苦労ではなかったと推測できますし、

周囲からの圧力もすさまじかったでしょう。

 

ドラマの中でも善徳女王は波乱万丈な人生を送っていますが、実在の善徳女王はどうだったのかをまとめていきます。

善徳女王

・生涯:生年不詳~647年1月8日

・何代王:新羅27代王(新羅初の女王)

・登場する歴史書:「三国史記」「新唐書」「三国遺事」「花郎世記」

・兄弟姉妹:3姉妹の長女

・父:真平王 母:摩耶夫人

・称号(王配):水月葛文王朴欽飯

・この時代の新羅は他国との関係性が弱く、対外的には孤立している状態であったことから、

善徳女王は多くの若者を唐に留学させることで、積極的に唐の文化を取り入れようとしていました。

唐から仏教などが流れてきた証拠として、芬皇寺や霊廟寺が建造されており、

霊廟寺の建立と同時に瞻星台(天文台)も建てられています。

(こちらはドラマでトンマンが建造を宣言した物です)

・ドラマでトンマンとチョンミョン王女が双子の姉妹という設定で描かれていますが、

歴史書にはそのような記載は一切なく、こちらは演出のための創作だと考えられます。

・当時の新羅は三婚制という一妻多夫制というものを導入していました。

善徳女王もそれにならい、金龍春(キムヨンチュン)、金龍樹(キムヨンス)、乙祭(ウルチェ)という三人の男性と結婚しています。

 

美室(ミシル)

圧倒的な悪者でありながら人としての道義に反することはしない

相対するだけで全てを見透かす洞察力と観察力

 

ドラマを観ている私たちでさえ恐怖を覚えるほどの狡猾さ

そんなミシルがいたからこそこのドラマはここまでの人気を博したのではないかと思います。

 

そのミシルですが、果たして実在したのでしょうか?

ミシルについて調査してみました。

美室(ミシル)

・生涯:546年~612年?(本当に実在したか不明):当時の日本は飛鳥時代

・当時の王:新羅第24代真興王~第26代真平王

・登場する歴史書:「花郎世記」

・父:未珍夫(第2代風月主)

・母:妙道夫人 朴氏(初代風月主)

・夫:世宗公(第6代風月主)

・情夫:斯多含(第5代風月主)

・情夫:薛原郎(第7代風月主) 

・情夫:美生郎(実弟)

・情夫:第24代国王 真興王

・情夫:銅輪太子(真智王の兄)

・情夫:第25代国王 真智王(銅輪太子の弟)

・情夫:第26代国王 真平王(銅輪太子の息子)

・称号:宮主、殿主、璽主

・美室(ミシル)は斯多含と愛し合っていたのですが、政略結婚により世宗公と結婚させられてしまいます。

・世宗公と結婚した美室(ミシル)は真興王に仕えるようになりました。

ミシルから誘惑したのか、お互い惹かれあったのかは定かではありませんが、

既に夫がいるミシルでしたが真興王の愛人になることで絶大な権力を手に入れることになります。

※善徳女王も3人の男性と結婚していますので、この時代では一妻多夫制が一般的だったと考えられます。

・真興王から寵愛を受けているにも関わらずミシルは多くの男性を情夫にしており、

やがてそれが真興王の怒りに触れることとなり、ミシルは王宮を追放されることになるのですが、

ミシルが泣いて許しを請うたため真興王は再びミシルを王宮に残らせるのでした。

・真興王が病気になると機会を伺っていたミシルは政治に参加するようになっていきます。

真興王の死後は一時真智王が即位しますが、真智王は王としての器ではなかったためミシル自ら廃位させています。

・真智王の後に真平王が即位し、その時にミシルは璽主の称号を与えられていますが、

最後には情夫のソルォンと同じ病気となってその生涯に幕を閉じていきました。

以上が「花郎世記」に記載されているミシルになります。

 

花郎世記に記述されているミシルが実在したとしても、

善徳女王とは40歳以上歳が離れている計算となりますので

ドラマのように二人が直接対決をした可能性は低いと考えられています。

 

花郎世記とは

ピダムのことを記載する前に、ミシルが登場する「花郎世記」のことが気になる方もいると思いますので先にまとめておきます。

興味の無い方は読み飛ばしていただければと思います。

 

ドラマの善徳女王でも原作として用いられている花郎世記ですが、実は偽物の歴史書という見解が強い書物なんです。

花郎世記のおかしな部分

1,ミシルが数百歳まで生きたことになっている

2、花郎が男色集団として描かれている

3、花郎世記を発見したとされる朴昌和が性愛小説家であったことから、朴昌和が作った偽物と推察された

4,その他荒唐無稽な内容が多々ちりばめられている

これらのことから花郎世記は偽物の歴史書との見方が強く、

花郎世記だけにしか登場しないミシルが、本当に実在したのかも実はわかっていないのです。

 

毗曇(ピダム)

ドラマでは21話から登場するピダム

 

彼の登場により物語はさらに面白さを増していくばかりでなく、

揺れ動く感情をこれでもかと表現されたキム・ナムギルさんの演技は圧巻でした。

 

善徳女王を観た人は、主役のトンマン以上に記憶に残った方も多かったのではないでしょうか。

そんなピダムが実在したのかなどを紹介していきます。

 

毗曇(ピダム)

・生涯:生年不詳~647年

・当時の王:新羅27代王(新羅初の女王)

・登場する歴史書:「三国史記」

・身分:真骨

・称号(王配):上大等

・唐から援軍を求められた新羅は、唐の要求を受けようとする親唐派と、

反対する反唐派とで対立構造が広がっていきました。

そんな中、親唐派のピダムが「女主不能善理(女性君主は国を治めることができない)」と唱えて反乱を起こした。

これが歴史書に毗曇(ピダム)の乱として記されています。

・善徳女王から直々に上大等に任命されているにも関わらず、なぜピダムが乱を起こしたのかは不明。

・キム・ユシンによってピダムの乱は鎮圧され、ピダムの乱を起こした9族と30人は粛清されています。

・善徳女王はピダムの乱の最中に崩御しており、信頼していたピダムに裏切られた状態で亡くなられています。

ドラマでもピダムは善徳女王を裏切ったりしていますが、

実際のピダムも、歴史書に基づいて人物設定がされていることが伺えますね。

 

金庾信(キム・ユシン)

ドラマでは忠義を尽くす男として描かれています。

武骨で不器用だけれども、善徳女王への並外れた忠誠心で何度もトンマンの危機を救います。

 

そんな金庾信(キム・ユシン)ですが、現代でもキム・ユシンの墓が現存しており、

歴史書にもしっかりと記述が残っています。

金庾信(キム・ユシン)

・生涯:生年不詳~673年

・当時の王:新羅27代王~29代王

・登場する歴史書:「三国史記」

・身分:伽耶王家

・称号(王配):太大角干(当時の最高官位)

・キム・ユシンについて幼いころの記述は残されていない

・毗曇の乱を鎮圧し、金春秋(キム・チュンチュ)と共に善徳女王の従妹の真徳女王を立ててこれを補佐し、

女王が死ぬとキム・チュンチュを説得して武烈王として即位させました

・唐と連合して660年に百済を滅ぼし、668年には高句麗を滅ぼして三国統一を成し遂げました

ドラマ同様に、戦の面で大きく活躍した大人物だっとことが伺えます。

 

キム・ユシン将軍の墓

キム・ユシン将軍の墓を紹介します。

慶州には、多数の墓が残っていますが、その中でも状態が美しく立派な墓のひとつです。

以下の記事でキム・ユシンの墓の画像などが確認できます。

 

黒のつく内通者「黔日」も実在

ドラマにおいても、史実においても非常に重要な拠点となる大耶城。

その大耶城が陥落する原因となったのが「黒のつく内通者である黔日」ですが、

なんとこの人物実在していたことが判明しています。

 

黔日は大耶城の城主である品釈(プムソク)に妻を奪われたことに恨みを抱いており、百済に寝返っています。

 

642年の8月には百済と内通し、允忠(ユンチュン)率いる百済軍攻撃の際に、

蔵に火をつけて城内を混乱させ大耶城の陥落に貢献したと歴史書に記載されているのです。

 

その後百済で過ごしますが、660年に百済が滅亡した際にキム・チュンチュによって処刑されています。

 

その他実在した人物

歴史書で確認されてる実在の人物をまとめていきます。

実在の人物名

・閼川(アルチョン)

・廉宗(ヨムジョン)

・金春秋(キム・チュンチュ)

・天明(チョンミョン)

・薛原(ソルォン)

・世宗(セジョン)

・真興(チヌン)大帝

・真智(チンジ)王

・斯多含(サダハム)

 

善徳女王を演じたイ・ヨウォンが来日

善徳女王を演じたイ・ヨウォンさんが2010年3月31日に日本に来られています。

その時の映像です。

イ・ヨウォンさんとっても綺麗ですね。

100404 善徳女王 イ・ヨウォン来日インタビュー

 

善徳女王の放送終了特番

こちらは善徳女王の撮影が終了した後の特別番組です。

ドラマでは見られないキャストの素の表情が見られます。

善徳女王放送終了特番

 

最後に

ここまでご覧いただきありがとうございました。

善徳女王って本当に面白いですよね!

 

一度見た後でもう一度見ると、また違った角度から見れるから飽きないんです。

もしまだ善徳女王を全部見ていない、もしくは最初からもう一度見たいという方は以下の記事をご覧くださいね。

31日間は無料で善徳女王を視聴できます。




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